萌えアニメオタクは気持ちが悪いので。

moec
どうも、solaです。

アニメオタクです。萌えアニメ、大好物です

さて、アニメオタクといってもいろいろなカテゴリーがあります。自分をカテゴライズするのであれば「ストーリーオタク」といったところでしょうか。もちろん、ストーリを語る上で重要な「キャラクター」も大好きです。

昔から、小説や漫画、映画、ストーリー重視のJRPGが好きで、伏線を抜き出してまとめてみたり、レビューを書いてみたり。それから子供の頃は設定厨だったので、ノート(もしくは頭のなか)にひたすら独創ファンタジー世界の地理や国、魔法などのルール、冒険者や魔物……みたいな世界観を書き連ねていました。

アニメもストーリーを伝えるメディア(あるいはコンテンツ)の一種なわけで、そりゃあ大好物にもなるわって感じなんですが、実は”萌えアニメ”に関しては、かなりの抵抗感がありました

■アニメの区分(個人的)

アニメと一言で言ってもいろんな種類があります。個人的所感ですが、以下のように区別されているように思えます。

1.観ること=ステータスになる。

ディズニー、ピクサーなどのハリウッド系アニメ、ジブリアニメ

2.許される。

細田監督作品、エヴァンゲリオン、ちびまる子ちゃん、サザエさん、名探偵コナンなど

3.男の子ならしょうがないよね or まあ私も昔見てたしね。

ガンダム系ロボットアニメ、硬派な(サイエンス)ファンタジーモノ、少年雑誌・少女雑誌系アニメ(故ゴールデン帯アニメ系)など

4.子供なら好きだよね。

ニチアサ系、アンパンマン、教育テレビ系アニメなど

5.ちょっとマイナーだけど別にいいんじゃない?

新海誠、押井監督とか。ロシア、フランスなど海外のサブカル臭アニメなど

6.ごめんなさい、気持ち悪い。

いわゆる萌えアニメ

こんな感じでしょうか。適当ですけど。

とはいえ最近、萌えアニメがそれなりに市民権を得てきたようで、”萌え”に対して好意的な一般人が増えてきたらしいです。自治体のキャラクター、商品の包装やプロモーション、公的機関のポスターにも萌え要素があふれています。

とはいえ、みなさんの多くも感じていると思いますが、リアルを見る限り、萌えが完全に受け入れられているわけでもないですよね。自分が過去、萌えアニメに対して抵抗感をもっていたのは同族嫌悪な部分が多々あったと思いますが、いわゆる普通の人(普通って何だろ)にとって、キャラクターの缶バッジを衣類やかばんに所狭しとくっつけて歩く姿や、女子小学生とまざってゲームに並ぶおっさんや、街中で萌えキャラのポスターに向かって土下座する様なんかはやっぱり異様だし、単純に気持ち悪いと思うんですよね。もちろん、他人に(ある程度以上の)迷惑さえかけなれば趣味は自由だし、そういったものを非難するつもりはまったくありません。まあ、とにかく、そういった極端な例を除外しても、萌えアニメを熱く語る姿とかまだまだ受け入れがたいのではないでしょうか(こちらがわの人間からしてみれば受け入れてもらおうとは思ってないのですが)。

個人的には、昨今の萌え容認もしくは萌えブームはインターネット上などで萌えオタク側によって「持ち上げられている」だけのような気がしています

※もちろん、0か1かなんて極端な話はそうそうないわけで、いわゆるライトなアニメオタクもいるんですけどね。

■萌えに対する不感症

この記事では、萌えに対する深い考察だとか、萌えヲタは気持ち悪いから自重しましょうとか、そういう話をするつもりは毛頭ありません。

ところで、私が公開している自作ゲームの話なのですが、各ストアのレビューやインターネット上でいろいろと感想をいただいています。素材(キャラクターの絵や3DCG)についての感想でまれにあるのが「絵柄がオタクっぽい」「萌えキャラな感じが気持ち悪い」というものです(ちなみに多数派は「下手」とかそういうのです。修行がんばります!)。で、これを目にした時に、そう言えば自分も昔は”萌え”に抵抗感があったなあと思い出したのです。いつの間にか、その感覚がなくなっていたんだなあと。

■萌えアニメと私の出会い

子供の頃からジブリは大好きでしたし、少年雑誌系アニメも普通に見てました。今にして思えば、そういったアニメにも(もちろんディズニーにだって)”萌え要素”はあります(ちょっとそれますが、小説・漫画にもJRPGにも)し、むしろそういった要素を楽しんでいたはずです。でも、”萌え”を前面に押し出すアニメはなぜか避けていました

さて、そんな私が最初に萌えアニメに触れたのは、2000年代半ばくらいです。ニコニコ動画が流行り始めた時期(まだYoutubeにタダ乗りしていたあたり)に、動画を見まくっていたのですが、その中に「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメーのワンシーンを抜き出したものがありました。内容は、学園祭でヒロインとその仲間がライブを行うというもので、その楽曲が気に入ったので繰り返し見ていた覚えがあります。で、曲が終わったあたりでいわゆるMCとしてヒロインがしゃべるのですが、その声がやたら高く作り物感があって、どうしても恥ずかしくなってしまい、いつもそこで動画を止めていました

さらに、ほぼ同時期、知り合いのアニメオタクから「泣けるから絶対に見てくれ!」と、「AIR」のDVDを複数枚(全巻あったかまでは覚えてはいません)渡されました。DVDの量にゲンナリとしたのもあるかもしれませんが、ほんの数分で視聴断念といたりました。ヒロインらしき女の子の目の大きさ、甲高い声、なんかヘンな口癖……それがなんだかやたら恥ずかしくてしょうがなかったのを覚えています

フォローと言っちゃなんですが、上記2つの作品、今ではめちゃくちゃ好きです。とにかく、当時の自分にとってそういった”萌え要素”は受け入れがたいものでした。ただし、前述のとおりこれには同族嫌悪(元々オタク気質だったので)的な側面が多分にあったはずです。

そんな私が萌えアニメにはまっていくキッカケになったのは、「コードギアス」と「CLANNAD」でした(コードギアスを萌えアニメと呼ぶと怒られるかもしれませんが)。どちらも先ほどの知り合いに勧められたものです。

・硬派かつ重厚なストーリー展開で私の心を鷲掴みにしたコードギアスの存在が深夜アニメのハードルを下げ、気恥ずかしかったCLANNADを見続けるモチベーションになったこと。

・そしてCLANNAD7話近辺まで視聴して、なんだかハマってきた私の涙腺が9話で大崩壊。

……こうしてまたひとり、萌え豚がこの世に誕生したわけです。

■萌えアニメにハマってからの変化

そんなわけで、萌えアニメにハマった私は新旧様々な深夜アニメを視聴することになります。アニメを選ぶ基準はストーリーだったのですが、いつの間にか萌え要素に対する違和感もなくなっていました

デカイ目も、高い声も、髪の色にも、特徴的な語尾にも、あり得ない服装も、設定年齢の割に幼い性格も、潔癖的な処女性も……今では、萌えアニメとはそういうものだと素直に受け入れています。

ここで、萌えについて二つほど語らせてください。どちらも萌えアニメオタクになるまえの自分にはなかった価値観でした。

一つ目は、ギャルゲー原作アニメのハーレム性についてです

ギャルゲーとは、複数のヒロイン(攻略対象)が登場するゲームで、プレイヤーは主人公を操って任意のヒロインのストーリーを進めていきます。ギャルゲーをアニメ化する場合、その攻略対象であるヒロインはほぼ全員登場しますし、彼女らの個別エピソードもアニメ化されることが多いです(最終的にはメインヒロインまたは人気ヒロインのエピソードに収束します)。何を言いたいのかというと、最初から(またはある程度話が進んだ段階で)ヒロインたちは皆、主人公に恋心を抱いていますし、主人公もまんざらではありません。原作の特定エピソードファンのことを考えてのことか、主人公にメインヒロインがいるからと、主人公のことを諦めて他の男キャラになびくこともありません(もちろん、例外はあります)。

CLANNADもギャルゲー原作のアニメなんですが、キャラ紹介も兼ねて早い段階から原作での攻略対象ヒロインたちが登場します。例えば、ツンデレであったり、奥手であったり、変わり者であったり……いろいろなキャラがいるのですが「ギャルゲーのハーレム性」に対する知見がなかったころの私には、まさかこの女の子たちが全員、主人公に惚れている(これから惚れる)とは思いもよりませんでした。今なら、そういうアニメを見れば「ああ、みんな主人公に惚れてるんだな」とすぐにわかるんですけどね。余談ですが、主人公が真っ直ぐで純粋な漢という設定なのに、こういったストーリー展開のために、ただの優柔不断な女たらしに見えるアニメも多々あります。ジャンルなりストーリー構成がストーリー自体やキャラクター設定にネガティブな影響を与えている例です。

二つ目はヒロインの処女性についてです。

現実世界でも、小説でも、映画でも、漫画でも……高校・大学というキャラクター設定であれば、ヒロインに過去恋人がいたりとか、性経験があってもおかしくないはずです。もちろん、自分でストーリーを書くときもそんなもんです。ですが、萌えアニメに関してだけはヒロインの処女性・潔癖性についてこだわりが存在いることに気がつきました。もちろん、ストーリーの展開上そういう経験があるというのであれば問題はないのですが、特定ジャンルの萌えアニメについてはヒロインに恋愛経験があるのはダメで初恋は主人公でなければならず、また他の男になびくようなことや、二人っきりになることは許されないのだという風潮があり、萌えアニメに触れる内に、自身もそれに対して理解しつつあることに気づきました。

これらはほんの一例でしかないのですが、じゃあ何がいいたいのかというと、萌え要素なり萌えの様式なりが、私のストーリー観にそれなりの影響を及ぼしているのではないかということです

■結論に代えて(結局ただの思索だった件)

ようは、萌えアニメに触れることで、私自身のストーリー展開の約束事がいい意味で多様化、悪い意味で限定化されているのではないかということが言いたかったのです。

でも、自分の好きなストーリー(もしくはメディア、コンテンツ)に影響を受けるなんて当たり前のことなんですよね。正直、物語なんてものは自分の好きなように書き連ねて公開して、気に入ってくれた人がいればそれでいいわけです。万人に受ける物語なんてものは絶対にありませんしね。

と言っても、せっかく作ったものなので、できるだけたくさんの人に楽しんでもらいたいというのもまた事実

現在、私の物語は”萌え要素”的なものに抵抗がない(または少ない)人に受け入れやすいのかなあと思っていますが、同時にそういうものに抵抗がある方にも楽しんでいただけるような作品つくりをこころがけたいです。”どっちつかず”というわけではなく”やりすぎない”というような意味合いです。

とにかく、萌えアニメという新たなコンテンツに出会ったことによって、私の中のストーリー観に大きな影響を与えたことは事実ですし、産み出すストーリー(ジャンル)も昔とは異なります。それが果たして良かったのか、悪かったのか。はたまた今後どうなっていくのか。いまだに答えは出ていませんし、出そうとも思っていません。いろいろなメディア、コンテンツに触れてより良い物語を産み出せるようにがんばっていきたいなあと思います。

ただの思索になってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

それでは。

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